−ヌエと呼ばれた−

トラツグミ


 黒と黄色のトラのような模様のツグミで、トラツグミ。阪神ファンのバードウォッチャーがいたら、たまらない存在でしょう。といっても野球ファンのバードウォッチャーは珍しい存在、まして阪神ファンとなると珍鳥的存在ですが。
 さて、この鳥はツグミより大きな体をしています。初めて明治神宮で茂みの中から出てくるのを見たときはコジュケイかと思ったほど、大きく見えました。頭が細く、顔つきは、ぬめっとしたハ虫類を思わせます。

 ところでトラツグミは、かつてはヌエと呼ばれていました。漢字で書くと鵺です。まさに夜の鳥というイメージです。「鵺の鳴く夜は恐ろしい」という横溝正史原作の映画『悪霊島』のキャッチコピー以来、つとに有名になりました。
 このヌエが華々しく日本史に登場するのは『平家物語』。源頼政の怪物退治です。近衛天皇の世、東三条の方より夜な夜な一陣の黒雲とともに怪物がやってきて寝所の天皇を悩ませました。そこで、頼政に退治させたところ、頭はサル、体はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラのような怪物でその声はヌエのようだったといわれました。
 物語に登場する怪物には名前がないのですが、声がヌエのようだったということから怪物イコールヌエと思っている人が多いのです。また、この怪物のように正体のわからないものを「ヌエ的存在」などということもあります。ヌエという言葉がいかにも怪物らしい響きを持っているためでしょう。
 では、このヌエの語源はというと「和」が転訛したもので、なびくように鳴くから。人の寝ている間に鳴くので「寝る」がヌルとなりヌエになったという説などがあります。いずれも怪しい雰囲気はありません。また、『万葉集』にもヌエドリとして登場します。たとえば、柿本人麻呂の「よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら嘆け居りと告げむ子もがも」などがあります。いずれも、心の嘆きの枕詞、あるいは片思いの枕詞。寂しげ、あるいは悲しげに聞こえる声からの発想でしょう。『万葉集』にも、怪物をイメージさせるおどろおどろしい印象はないのです。

 ところで、トラツグミは漂鳥です。夏は山で過ごし、冬は平地にいます。私の東京のフィールドの六義園では、一冬見られたことがありました。たいがいは、4月下旬から5月上旬に渡り途中のものが、姿を見せてくれます。一度、夜明け前に六義園から鳴き声が聞こえたことがあります。よくバードウォッチングをしている夢を見ますので、また夢かと思ったのですが本物。慌てて起きて録音の準備をしたのは良いのですが、焦るあまりマイクのコードに差し込むピンを折ってしまいました。悔しい思い出です。
 山地の日光では、冬に見たことがありません。やはり日光では夏の鳥で、特有の声が聞かれるのは春から夏です。声は「ヒュー」という不気味な口笛のような音で、長い間を開けて鳴きます。ときに、高い音と低い音が交互に繰り返されるので、雄と雌が鳴き合っていると思われて「相鳴鳥」の異名もあります。おそらく、雄同士がなわばりを争って鳴き合っているものなのでしょう。
 日光では、小田代ヶ原の駐車場で霧の中から聞こえてきたことがあります。濃い霧のため草原はまったく見えないのですが、後ろの森の中から「ヒュー、ヒュー」と声が聞こえてきました。このときの幻想的な雰囲気は忘れません。こうして、思い出しても鳥肌がたちます。
 日光植物園や裏見の滝で声を聞いたのも、やはり曇りの日でした。珍しい例として、昼間の晴天のなかで鳴いているのを聞いたことがあります。それは、野州原林道の雨量計のある下あたりの道で、車をとめたらウグイスのさえずりとともに鳴いていました。少し遠かったのですが、なんとか録音することができました。こうしてみると、比較的出会いが多いのは、裏見の周辺で田母沢流域という感じです。
 この他、稲荷川下流域のIさん宅周辺や霧降別荘地の会員のお宅でも声を聞いたと報告を受けています。義弟は日光駅前のマンションで夜中で声が聞こえたことがある、ということは市内のスギ並木でも鳴いたことになります。私の観察記録でも、東電池の横の森の中の道で見たことがありますから、日光では意外と人家の近くにもいるかもしれません。

 トラツグミとの出会いが少ないので、どうも深山幽谷の鳥のイメージがあります。しかし、本来は里山に住む身近な野鳥であったのではないでしょうか。平地から低山の森林の環境が貧しくなったために減少してしまった鳥の一つなのでしょう。なにしろ、都で鳴いていた可能性もあるのですから。

松田道生(2003年11月10日・起稿)

イラスト:水谷高英氏

トラツグミの声(稲荷川下流域)>

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